子ども同士の喧嘩。わが子が喧嘩の発端?!親の対応は?

子育て

今日、我が家の年中てんちゃんと、年長兄ほっしゃんと、いとこのお姉ちゃん3人で遊んでいた時の出来事。てんちゃんとほっしゃんがチームで、いとこのお姉ちゃんが敵チームとなり競い合う感じの遊び。最初は楽しく遊んでたんだけど、ふと目を離したら、てんちゃんの怒り狂った泣き叫び声が聞こえてきました。そして、ほっしゃんといとこのお姉ちゃんが「もう!!!!てんちゃん!!!そんなんやめて!!!」とてんちゃんに怒ってる。

どうやら、てんちゃんは、仲間であるほっしゃんが失敗したりするのが許せなかったらしい。自分が負けるのが相当嫌だったのね。それで、ほっしゃんに対して、あーしろこーしろと偉そうに指示を出したり、ほっしゃんが失敗するたびに、「なんでそんなことしたん!!!」とぶち切れていた様子。てんちゃんの悪態ぶりに、ほっしゃんとお姉ちゃんは最初は優しかったんだけど、いよいよ限界がきて、「もう!!てんちゃん!そんなんするんやったら一生一緒に遊ばへん!」とか言われていた模様です。

ゲームに負けた悔しさと、みんなに怒られた気まずさからか、ほんとに苦しそうに顔をゆがめて、大声で泣きまくっているてんちゃんと、呆れ顔でぶちぎれてるふたりの子どもがいるので、母いよいよ介入の時が来ました。

子どもたちの喧嘩勃発。明らかに悪いことした側のわが子にどうする?

こんな場面どう介入するのが正解なのでしょう。

ほっしゃんやお姉ちゃんは、「てんちゃん!やめて!」と怒っていました。そこに、「てんちゃん!!だめでしょ!!」と私が介入し、「他の子にそんな偉そうに命令したらだめ!」「みんなと仲良くしなさい」「負けたからって怒ったらダメ!」「謝りなさい」と言うことは簡単です。

だけど、それでいいいのだろうか…。そのやり方では、負けることが苦手なてんちゃんは、毎回みんなから怒られることになります。毎回怒られ、煙たがられたら…そんな子どもってどうなるのだろうか?自尊心もへったくれもなくなってしまう。どうせみんなわかってくれない。どうせ僕は怒られる。どうせ僕は悪い子だからって、ゆがんだ自己像を持つようになってしまいます。

それは、私が子育てで目指していることとは全然違う。
私は、子ども達の自己肯定感を育んでやりたい
「僕は愛されている」「僕ってすごい!」「僕は僕のままでいい!」って思ってほしい。
正しい方向に導こうとしているはずのしつけが、自己肯定感を崩しかねないことになってしまう。

この「叱る」という親の行動は、一見効果的で正解に見えるのが落とし穴だと言われています。
「他の子にそんな偉そうに命令したらだめでしょ!」「みんなと仲良くしなさい!」「負けたっていいでしょ!」「謝りなさい!」と言うことで、ひょっとしたら、その時てんちゃんは、それらの行動をやめるかもしれません。いわゆる「悪い行動」が止まるわけです。すると、親は、悪い行動が止まったので、正しくしつけできた今の関わりが正解だと思うし、また次同じような場面で、同じ「叱る」という方法をとってしまうわけです。

でも本当に、「叱る」ことを通して、一番伝えたかったことが伝わったのでしょうか。ただ怒られた恐怖感でやめただけで、何が正しい行動だったのかを理解したとは限らないのです。さらに、この「叱る」関わりには、さらなる大きな副作用があるのです。みんなから怒られたてんちゃんの自己肯定感が傷つくかもしれません。それだけでなく、「ママは僕のことわかってくれなかった」という気持ちを抱くかもしれません。「誰もわかってくれない」とてんちゃんが孤独感を抱くかもしれません。たった一回叱られたからって、自己肯定感が低下したり、親子関係が崩壊したり、子どもが孤独に追いやられるわけではないかもしれませんが、「叱られる」状況がいつもいつもだったら?その副作用は深刻なものとなりうるでしょう。

そこで今日は、副作用の少ないかかわり方として、「受け止める育児」をご紹介したいと思います。繊細な子どもを育て始めて、いろんなことが想定通りにはいかなかった私のママライフ初期。ママとしての自信をどんどん失っていた当時、私はこの「受け止める育児」という考えに出会いました。それは、私のママ人生を衝撃的に変え、不安でいっぱいでしんどいママだった私を、子育てが楽しくてたまらないハッピーママにしてくれました。ぜひみなさんにも知ってほしい!という思いでいっぱいです。

ママも子どももハッピーにする「受け止める育児」

ママや子どもを苦しめるのは「ねばならない呪縛」

巷にあふれる子育て情報。育児書よりも、もっと手軽に、もっとスピーディーに、いろんな情報が入ってきてしまう現代のママ・パパ。それはとても有益な一方で、ママやパパたちを「ねばならない」育児に追い込んでしまう危険性をはらんでいます。

この月齢になったら、こんなことができるようになるんだ。
この年齢になったら、こんなおもちゃで遊べるようになるんだ。
こういう場面では、こういう風にしつけするといいんだ。

挙げればきりがない程の情報が入ってきます。

わが子がその月齢になり、情報通りのことができたら、ママはほっと安心します。
でもできないと、不安になります。

親が不安になるとどうなるか?なんとかできるようにならないかと思い、目の前の子どもの気持ちではなく、それを「させる」ことに必死になり、「できたかできていないか」ばかりに意識が向いてしまいます。

そうなると、わが子を他の子どもと比較し、ついには、自分を他の親と比較してしまいます。
比較しているつもりはなくても、「子どもにそれをさせられない親」というレッテルを自分に貼り、もしくは貼られている気持ちになり、親としての自信を失っていくのです。

想定通りにいかないことや、他者からの評価を気にするあまり、焦りがつのり、いつしか「叱る」ことが増えていってしまいます

これでは、親も子も幸せではありません。子育ての呪縛「ねばならない」から、ママ自身を解放してあげてほしいと思うのです。今自分が子どもにさせようと思っていることって、本当に本当にそんなに大事?そんなに今すぐさせないといけない?自分がしつけできてない母と思われることをこわがってない?と。

少しでも、ギクッと思ったママは、まず自分を呪縛から解放してあげてください。本当に楽になりますよ。

「受け止める育児」とは?

では、「受け止める育児」とは?

ひとことで言うと、『目の前の子どもをそのまま受け止める育児』です。

もう少し詳しく説明すると、

  • 月齢ではなく、目の前にいるお子さんの今の発達段階に合わせた関わりをする。
  • 子どもの感情・思いをそのまま受け止める

ということをしていきます。

具体的な場面を想定してみましょう。例えば、子どもを公園に連れて行ってお砂場で遊んでいる場面。わが子が持っているお砂場用おもちゃを、お友達が貸してほしいと言ってきた。めちゃくちゃよくある場面ですよね。

「ちょっと貸してあげようか。どうぞできる?」

よくみる光景ですよね。これで貸せる子は貸してあげたらいいと思うんです。でも「いやだ!」と言う子だってたくさんいるはずです。どうぞしてあげないうちに、お友達の子が、貸して欲しいとギャン泣きし始めた。息子は息子で、貸したくない!とギャン泣き親として、「息子よ、頼むしちょっと貸したげて!」って思う場面ですよね。意地でも貸さない息子に、なんだか親の方が居心地悪くなる感じ。

その時に、「おもちゃを貸せる子にしないといけない」と考えると、おもちゃを貸せない子どもも、そう導けないママも、失格になってしまうのです。失格の烙印を押しながらの子育てはとてもしんどいものです。

そこで、「受け止める育児」の登場です。

① 「子どもの思いをそのまま受け止める」

「貸してあげようね。どうぞして。」ではなく、「そっか、今貸すのは嫌なんやね。もっと使いたいんやね」と、目の前で起こっていることを、そのままを言葉に変換して伝えます。それにより、子供は、自分の思いをもつこと、そしてそれを表現することは、悪いことではないんだと体験していきます。そして、どんな思いも、ママは否定せず受け止めてくれたと感じます。

② 「月齢ではなく、目の前の子どもの発達段階に合わせた関わりをする」

何歳だから、おもちゃを貸せるようにならないと!という考えをママが手離します。今の我が子には、おもちゃを貸すということは、まだしんどいんだな。今は、「これは僕の!」「僕はこれで遊びたい!」って、「自分自分」の時なんだな、自分をいっぱい主張することを学んでいる発達段階なんだなと受け止めます。自分を主張するということは、人間のその後の発達の基礎になります。自己肯定感の礎になります。自分の思いをたくさん主張し、受け止められるという体験が必要なのです。その段階を経ずに、「おもちゃ貸してあげなさい!」とすっとばしていくと、あとで余計にしんどくなっていくと言われています。

なので、譲らなくてもいいように、おもちゃを2個用意してあげるのは得策です。もったいないです。確かに同じもの2個もあるのはもったいない。でも、子供の自己肯定感傷つけたり、叱るママになるよりは、ずいぶんましな投資だと私は思うのです。なので、100均さまさまです。100均だとそんな躊躇せず同じものかってあげれるので♪なので我が家が公園へ行くときは大荷物です。基本的になんでも最低ふたつは持っていくので。しんどいけど、「子どもの自己肯定感のため!」と自己満足している私です。

この話をすると、必ず来る質問。「そんなことしてたら、一生譲れない子になりませんか?」と。

なりません。子どもって成長するんです。ママにたくさんたくさん受け止められた子どもは、自分が受け止めてもらったように、他者を受け止めるようになっていくのです。「子どもは成長する」と信じることがキーです。

「受け止める育児」を心がけつつ悪戦苦闘する毎日

冒頭のいとこのお姉ちゃんとの場面。あの時は明らかにてんちゃんが一人勝手に負けたことにぶちぎれて、みんなに悪態ついている感じでした。ほっしゃんもいとこのお姉ちゃんも、「ママ!てんちゃんに怒って!」という視線を思いっきり送ってきていました。

「てんちゃん、そんなことしたらあかんやろー!!」って言いたかったけど、ぐっとこらえ、てんちゃんを抱きかかえて、少しみんなから離しました。(その場でやってもよかったんだけど、あまりにもてんちゃんがぶちぎれて、大癇癪で、場面を変えた方がいいと判断しました。)

そして、てんちゃんを抱きしめて、「てんちゃん、嫌やったんやなぁ。腹立ったんやなぁ。」と伝えました。

てんちゃん、さらに号泣しました。でも怒りの泣き叫びが、ほんの少し、安堵の泣き叫びに移行しているのを感じました。

私「てんちゃん、何がそんなに嫌やったん?」

てん「だって!!!そんなことしたら負けるっていってるのに、ほっしゃんが何にもきいてくれへんかったんやー!!!」

私「そうかそうか。てんちゃん、負けたくなかったんやな。負けて悔しかったんやな。

てん「(ぐしゅぐしゅに泣きながら)うん」

私「そやな。負けるの嫌やったな。てんちゃん、負けるの嫌やな気持ち、ママもすっごいよくわかるし、一回違う遊びしよっか。」

てん「嫌や!!!また同じ遊びする!!」

私「てんちゃん、また負けたら嫌な気持ちになるやろ。ママ、てんちゃんが嫌な気持ちになるのかわいそうと思うわ」

てん「大丈夫。負けたら、ざ〜んねん!くやしい!っていうから。」

またみんなのところに戻っていき遊び始めました。ちなみに、「ざ〜んねん。くやしい〜」は、以前に負け方の練習をしたことを覚えていたみたい(←またこのことは別の機会にでも♪) 結局、その後はもめごとなく楽しく遊べていました。毎回こんなうまくいきませんがね。

そして私から、ほっしゃんとお姉ちゃんに言いました。「てんちゃん、負けたくなくて怒ってしまったんやって。負けてもいいや!って思うのが難しいんやって。みんなごめんな

ほ&姉「いいよ~」

てんちゃんに、毎回謝らせるところまでもっていく必要ない。もちろん謝れそうな時は謝ったらいい。だけど代わりに謝ってあげたらいい。てんちゃんも、必ず謝れる時がくるから。………こんかったらどうしよ(笑)……いや、くるくる。わが子を信じよう(笑)

コメント

  1. かんじんママ より:

    私昨晩次男がゲームしたいと寝る直前に駄々をこね、頭ごなしにあかんもんはあかんねーーん!!!とキレッキレに爆音で怒りました。
    びっくりした次男は相当傷ついたようで静かに静かになりました。
    もう心が痛すぎて感情をコントロールできなかった自分が嫌いで。
    誰かわたしを受け止めて欲しいです。笑
    子供にはたくさんのごめんねを落ち着いてたからしましたがなんか最悪なことしたと後悔の念がきえません。

    • nana より:

      わかりますわかります。ママも人間。こちらに余白がないと子どもを受け止めることなんてできない。だから本当におっしゃる通り、ママ自身も受け止めてもらわないと余白が作れない。一番大切なことは、ママがママ自身を受け止めてあげること。今日怒ってしまっけど、それじゃだめだって今日気付けてよかった。後悔できるママでよかった。子どもに謝れてよかった。子育てはいつからでもやり直せるし、どうせやり直すなら一日も早い方がいい。今日怒ってしまったのは、私いっぱいっぱいだったんかな。他の怒りや傷つきがあったのかな。ねばならないに縛られてたんかな…ってふりかえると、また明日からの子育てにつながっていくはず♪

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