我が家の年子男子(小1と年長)は、昨年まで療育に通っていました。障害福祉サービスの名称で言うと、児童発達支援というものです。保育園へ週4日通い、週1日だけ療育へ通うという一週間を送っていました(この頻度はお子さんによって違います)。ふたりとも、療育の日が大好きで大好きで、素晴らしい療育に出会えたことが私たち親子の人生を変えたといっても過言ではないほど、療育に行ったことは我が家にとって最高の選択でした。今子育てに悩んでいたり、園にうまく適応できず困っていたり、療育ってどうなのかな?って思っておられる親御さんの参考になればと思い、今後療育でのことをシェアしたいと思いますが、今日はまず療育にいくことになった経緯を書かせていただきます。ここから語ることは、我が家の一例です。
発達が気になり始めるきっかけとなった息子の言動
なぜ長男、ほっしゃんが療育へ行くようになったのか?
私は心理士で、これまでの多くの子どもたちを関わらせてもらっていますが、とはいっても、うまれたての赤ちゃんから育てていくのは、ほっしゃんが初めて。なので、ほっしゃんの成長の仕方が、私にとっての「普通」だったし、「基準」でした。
息子はほんとに寝ない赤ちゃん
今は小1のほっしゃん。朝早くおきて学校→学童→公園遊びと、フルで活動してから帰宅するので、夜は1冊本をよめばすぐ寝落ちします。そんなほっしゃん、赤ちゃんの頃は、とりあえず寝ない子でした。とてもとても繊細で、お箸がころげただけでも目が覚める子。息をひそめてたって、起きてきます。今だから笑える(笑)。赤ちゃんってこんなんなんだ、こんな大変なんや…想像以上やなと思っていました。ママ友たちが「昨日6時間ねてくれたわー」とか、「夜間授乳、今はもう1~2回」とか言ってるの聞くたびに、「・・・(衝撃すぎて絶句で言葉もでてこない)」という感じでした。
日中に児童館へ行ったりして、他の子どもたちと遊ばせた日は、みんなひとしきり遊んだら、ママに揺られてお昼寝タイム。私も寝かそうとするんだけど絶対に寝ない。私一人、永遠に寝かせようとして、寝たかと思っても、数分で泣き声が聞こえる。私の寝かしつけが下手なんかな…、私が夜に添い乳してしまったからあかんのかな…、私があれしたから、これしたから、あれしなかったから、これしなかったから、寝ないのかな…と自分を責め始めました。
ある日突然始まった偏食
それでもほっしゃんはよく食べてどんどん大きくなっていってくれました。でも1歳過ぎた頃からかな。突然偏食が始まりました。それまでは、なんでもぺろりと平らげていたほっしゃんが、突然食べるものを選び出し、基本は納豆ご飯のみ。それもある日突然納豆ご飯食べなくなって、フライドポテトのみみたいな頃もありました。わが子に栄養バランスのとれたものを何も食べさせられない自分に、また自信がなくなっていきました。児童館へいって、みんながいろいろ入ったお弁当をもってきていても、もっていけるようなものがない。お弁当も一色で変だし、お昼寝もしてくれないし、もう児童館にも行きたくない…という気持ちになっていきました。
大きな音が大の苦手
ある日、ほっしゃんを喜ばせたい♪という思いで水族館へ行きました。ひとしきりお魚たちを見て大喜びしたあと、メインイベント、イルカショーへ!席に座りほっしゃんもわくわく。突然大きなアップビートの音楽がなり、それと同時にお姉さんお兄さんがでてきて、マイクを通した大きな声で「みなさ~ん、こんにちは~!!!」 みんな子どもたちが、「こんにちは~!!」と叫んでいる時、ふとほっしゃんを見ると、顔面硬直。爆泣き寸前…と思ったら大号泣。
あれ?ほっしゃん、大きな音が苦手?やっぱり特性ある?これまで赤ちゃんは想像以上だな…と思ってたすべてのことも、特性で説明できるよね?と少し思い始めた私でした。
そんな感じで日々を過ごしていた私。ほっしゃんが1歳11ヶ月の時、花火大会へ連れて行きました。嬉しそうに走り回っていたほっしゃん。一発目の花火が上がった途端、顔面蒼白。笑顔は消え、視線も一点をみつめ動きません。そして泣き出しました。初夏の暑い日でしたが、タオルケットの中に潜り込みました。そこから花火が終わるまで20分くらいはあったのかな?たったの一度も顔を出さず。汗だくになっていないかと、大丈夫?と聞いても反応なし。外界をシャットダウンしている感じでした。
「あー、やっぱり大きな音がつらいんだ…」と確信した日でした。寝ない子、極度の偏食、帽子もスモッグも水着もジャンバーも着たがらない、大きな音がする場所では顔面蒼白…といったことが次々と思い出され、一気につながりました。
この子、何かしら発達特性があるかもな~。
発達検査を受けよう!と思った理由
そんなこんなでまた日々を送っていたある日。ほっしゃん熱発で小児科へ行きました。ほっしゃんがうまれた時からのかかりつけ医。先生が、「今回薬かえるわな~」と仰いました。「先生!実は、薬なんてそもそもなかなか飲めないし、ましてや変えたりされると100%のめないんです…。ゼリーやアイスに混ぜたら…と言われても、そのゼリーやアイスを食べないし、ごはんも納豆ご飯しか食べないし…。先生薬のませられそうにないんで先に伝えときたくて…」とお伝えしました。
そしたら先生。一呼吸おいて、「お母さん、発達検査うけてみるか?」と。「実はなーんとなく気になってたんや。そんなめっちゃ気になるほどではないんやけど、特性ありそうやなーくらいで。」と。
私がこれまで感じていたほっしゃんの繊細なところの数々を一気に先生にお伝えました。そしたら、「やっぱりそうかー。いろいろあるんやなー。ほな、なおさら検査お勧めするわ」と。
先生に聞きました。「でも先生は、ここでのほっしゃんしか見てないのに、なんでそうおもわはったんですか?」と。
「うーん、僕の単なる勘というか、感覚というか。子どもはみんな小児科きたら泣くんや。けど、痛い事されて終わった後、シールひとつあげたら泣きやむんや。やけど、ほっしゃん、永遠になきやまへんやろ?一種のパニックに陥ってる感じやろ?それに、なんていうんかな…お母さん、育てるの大変ちゃうかなーってなんとなく心配になる感じ。」と仰いました。
その時、びっくりしました。「えーーー?!!!ほかの子って治療終わったら泣きやむの?!!」と。そういや周りを見渡せば、診察がおわったあとも、病院から出た後も、こんなに激しく泣き続けてるのはわが子だけでした。もう大変すぎて、必死過ぎて、ほかの子がそうじゃないのみえてなかったんや、私…と笑えたことを覚えています。
そして、これまでの苦労をわかってもらえたようなほっとした気持ちでした。そして私の中でずーっとずーっともやもやしていた、なんか特性あるのかな…とか、いや私の育て方がへたなんかな…とか思っていたものが、「やっぱりそうやったんやー!!!」と目を覚ました感じで、「すぐ検査いきます!!」と即答しました。
先生が仰いました。「世の中には検査促したら、すごく傷ついたり、嫌がるお母さんも多いから、タイミングを見極めるんだけど、そうしているうちに時間が経ってしまうんや。お母さんはなんか前向きに受け止めそうと感じたから言ったんや」と。なんて素敵な先生なんだろうと泣けました。子どもの病気だけをみるのではなく、子ども全体を見ていてくれたこと、そして、子どもだけでなく母親の私のことまで見ていてくれたこと。これこそ、ほんとに本物のお医者さんだなと感謝せずにいれませんでした。
前向きに受け取りそうに見えていたらしい私にも、「ほんまに検査うけなあかんのかな…」という気持ちが全くなかったわけじゃないです。「ほっしゃんは今後どうなるのかな?」「何か障がいがあるのかな?」「私が過度に心配しすぎて、余計なかかわりしてしまってないかな?」とか色々不安に思う気持ちはありました。でも、そんな不安もあるけれど、それよりも、「もしこの子の発達のために今できることがあるならば、早くしたい!」という気持ちはもっと何百倍も大きかったです。「とにかく早期発見・早期介入!」のためにすぐさま検査へいくことにしました。
2歳息子、待機リストすっとばして発達検査へ
発達検査へ行くことになったほっしゃん。2歳3ヶ月でした。あの時、そんな小さかったんやなぁ…。
発達検査って、検査を受ける場所にもよりますが、予約いれてから半年とか年単位で待たされるのはあるあるです。我が家ももれなくその半年から一年以上の待機リストに乗りました。でももう受けたい!と決めたら、早く受けたい!心理士をしていることもあって、検査結果を待たずに、家でのかかわりで工夫したらいいことは、もちろんいろいろわかっていましたし、結果がすべてでないこともわかっていましたが、ただ客観的な指標と助言が早く欲しかった。
予約の電話をした時に、「もし当日キャンセルが出たら、電話いただけないでしょうか?当日でも出来る限り調整していきますので」とお願いしました。これは、こういう検査予約は当日キャンセルがめちゃ多いことを知っていました。そしたら心理士は出勤してるのに、その枠があいてしまったわけだから、向こうだって、もしすぐ来てくれる人がいたら入れたいはずとわかっていました。そしたら、ほんの1ヶ月後くらいにほんとに電話がありました。
「今日の午前ですが当日キャンセル出ました。来れますか?」と。
あと五分もしたら保育園へ送りに行き仕事に行く感じだった私。
「・・・」
一瞬頭をフル回転させ仕事休める?とか悩みましたが、「行きます!」と答えました。
今思えば、こういう突然の予定変更がとても苦手なほっしゃん。ただ当時は、見通しをもつこともできていなかったから、「予定変更」と感じないことと、それに加えて、保育園大っ嫌いで毎日ギャン泣きしていたので、保育園にいかないでママといれるなんて、ほっしゃんには最高の予定変更だったので、そこはすんなりできました。
そして、そこから検査のために家を出ないといけない時間まで30分くらいしか無くて大慌てだったのですが、突然心が重くなった私。
あんなに早く受けたい!と思っていた発達検査なのに、あと30分後にいかなあかんとなったら、急に「ほんまに受けていいんやろか?見つけなくてもなんとかなることを見つけてしまうのかな?ほっしゃんの障がいを発見したせいで、間違った方向に導いてしまったらどうしよう…」とか、今振り返れば本末転倒な不安が押し寄せました。親だから思う感情。自分が療育キッズママになって改めてわかる感情。今は、この感情を実体験したことが、自分の支援に大きく役立ってくれています。
でも、いやいやいやいや、受けて損することはない!何も問題なかったらそれはそれでオッケー。何か課題や特性がみつかれば、それはそれでありがたい!早期に見つかって悪いことはないやん!とすぐに気持ちを切り替え出発しました。
2歳3か月の息子が受けた発達検査(K式)の結果
検査自体は、ほっしゃん上手上手!という課題もあれば、そんな高度な質問、そらほっしゃんには答えられませんよ~~(笑)っていうものまで色々ありました。
そして、結論。「現段階では言葉の遅れがあるけれども、まだこれから追いつく可能性大だし気にするほどではない。ただ、自分が課題を楽しんでいる時は、呼びかけに応えなかったり、質問者の問いを理解していなかったり、ちょっと空気を読めてない感があるのが若干気になります。それが自閉症スペクトラムの特徴でもあるから、今後経過を見ていったほうがいい」と言われました。
そしてさらに、「そこに対する支援としては、療育があります」と。「しかし、絶対行ってくださいというほどではないし、かといって、療育に行けませんというほどでもない。なので、お母さんの希望に任せます」との説明でした。
療育に行くか行かないかは、ほんとにどちらかが正解でどちらかが不正解というものではないと思います。療育と一言で言っても、事業所によって、していることも方針も全然違います。だから、わが子に合ったところがあるのか、自分の信念に近いことをしてくれるところがあるのか、などが大切なところだと思います。私は、その場では迷わず「行きます!」と答えました。絶対行きたい!というよりも、「見学もいけるし、いいところがあれば行けばいいし、なければやめればいい。だから、ここでやらないという理由はない」という感じでした。
私の気持ちの軸としてあったのは、ほっしゃんの発達のために今できることがあるならやりたいという気持ち。心理士だけれど、私が母として、ほっしゃんのことをもっと深く広く理解してあげれたり、もっとより良い関わり方を学べたり、ほっしゃん自身も保育園以外に居場所ができたり、いろんな人と関わったりできる場所があるならそんなありがたいことはない。あと結構大きかったのは、私は日中仕事もしてるし、要領もよくなくて、家帰ってからもばったばただし、不器用だし、家ではやってやれないことが山ほどある。私がやってやれないことをほっしゃんに体験さえてもらえる場があるなら、そんなありがたいことはないという気持ちです。
そんな感じで、療育へ行くことになりました。そして結果的に、それは私と息子たちのこれからの人生を大きく変えるだろうと思うほどの素敵な出会いでした。今思えば、ほっしゃんは2歳児クラスの時から療育へ行き始めました。それは通っている療育では早い方で、ほとんどの方が年少や年中から入ってきておられました。心理士ということもあり、特性に気付いたり、支援につながろうとしたのとが早かったのかもしれませんが、早ければいいというものでもありません。それぞれのお子さんや親御さんのタイミングがありますし、特性の出方や出る場所によって、見つかるタイミングも違います。なので、早くなかったからといってママが落ち込む必要もありません。見つけた時がタイミングです。
いろんなママから聞きます。「療育なんてものがあることを知らなった」「療育って何するところなの?」「行った方がいいの?」「そんなものがあるって、誰か早く教えてほしかった」などなど。療育がいいか悪いかというよりは、お子さんに合っているか、親御さんの大切にしたいことを大切にしてくださる事業所と出会えるか、それが大切かと思います。
お子さんの発達において何か心配に思うところがあったり、育てにくさを感じておられたり、このブログを読んで何か感じるものがあったりする方は、ぜひひとりで悩まず、相談してみてください。冒頭にも書きましたが、これは我が家の一例であって、お子様に息子と同じ行動があるからといって、検査や療育が必ずしも必要なわけでは決してありません。もしお悩みの方がおられたら、私と息子たちが救われたように、みなさんの道が開けていくようとただただ願うばかりで。
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