小学1年生算数の宿題が返ってきた!親はどうサポートすべき?!

子育て

新1年生のほっしゃん。もちろん、毎日宿題があります。先日の宿題は、算数のドリル的なやつ。ずっとひらがな一文字の宿題ばっかりで算数系は初めてでした。まだ、数を数える程度の問題なので、ほっしゃん、自分ですらすらやっていました。

その先日提出したものが、今日返ってきたのですが、それを見て、私「なるほど…。日本の教育、やっぱりそうきたか…」と思うところがありました。なんのことかご説明いたします。

小1、初めての算数の宿題が本日返ってきました

これ以外のページは全部大きく花丸されていました。が、ご覧の通り、このページは花丸がなく、一番上の問題文のところに、先生が赤で波線を引いているのみでした。

問題文は、「おおいほうに〇をつけましょう。」だから、ほっしゃんが、数を記入している右端の青い四角に、〇を書くのが正解だったようです。

実はね、私ほっしゃんがこの宿題をしているとき、横でみていたんです。で、まず最初、うさぎの横の四角に勢いよく「3」と書き、ニンジンの横に「4」と書いたんですね。で、私はすかさず思いました。え…そこ数字?そこに〇書くんちゃうか?と。でもそのまましばらく黙ってみていると、ほっしゃんは、多い方であるニンジンの絵を〇で囲みました。なるほど。問題文もちゃんと読んでたのね…。

そしてもっと近付いてよくよくみたんですよ。そしたら、画像のように、青い四角の中に、点線の十字線が入っていたんですよね。

これを見たら、「え?もしかしてほっしゃんのやり方があってるんかな?ここには数字を書いてねっていうことなんかな?」と私も思ったわけです。まさか〇書くだけの欄に十字線はいらんよな~…って。

ほっしゃんのやり方が間違いだと説明するだけの確固たる理由もないし、そもそもこの書き方でも、この問題の趣旨に沿って、「数を数え、大きい方を判断し、そちらに〇をする」っていうことができているし、これで大正解やん♪って思って、一切訂正せず、よくできたな~♪ってほめまくって、宿題を終えたわけでした。

で、今日それが返ってきて、花丸がない。ただ赤線がひかれ、ほっしゃんに尋ねると、先生は何も説明もしてないし、なんで花丸がないのかもわからないと。

いる?!その杓子定規な採点法?!!!!

と思ってしまった私です。
まぁ細かいことを言えば、「おおいほうを囲みましょう」ではなくて、「おおいほうに〇をつけましょう」だから、囲んでいるのがダメなのかもしれない。

けれど、そんなことよりも、小学生になって、うまれてはじめてひらがなを習い始めて、その練習のノートには十字線が入っているのを体験しています。だからこの十字線を見て、「ここに文字を書くんだな」って自分で考えて、ちゃんと問題をつくった人の意図をくんで、ほっしゃんは数字を書いた。しかも、それで正解を導き出して、大きい方に〇をした。

これ十分花丸じゃないですか?これに花丸をしない、先生の意図が私にはわからない。実際、花丸のないこのページをみて、ほっしゃんはとても悲しそうな顔をしました。

「教育」の目的はなんだろう?

きっと先生にはあたたかい意図があったと思います。しっかり問題文を読むことを教えてあげようとかね。だから先生を否定するつもりは全くないし、そもそもほっしゃんの担任の先生はあたたかくて大好きなんですが、ただこれに花丸をつけない日本の教育に、なんとも納得がいかないわけです。

こういうことを話題にすると、必ず意見として上がる「入試の採点が厳しいからそこに準じるしかない」という議論。結局、受験が変わらなければ、そこに照準を合わせていくか、もしくはそのレールには乗らない道を選ぶというなんとも究極の選択を迫られる現実

確かにそうなんですよね。

でも「教育」の本来の目的ってなんなんだろう?
少なくとも、私がわが子に望む「教育」は、受験に照準を合わせて学ぶことではなくて、色々な世界や価値観や知識に触れて、わくわくして、学習・体験して、興味関心を深めて、そして生きていく上での選択肢を増やしていくことであってほしい。そして、それを通して、自己肯定感を高めていくことであってほしい。

だから、今日のは、「よく考えて、正解を導き出したね!花丸!」でよかったのではないでしょうか。

この話をある賢い友人にすると、これは大人の事情によって生じたミスだと。ひとつの会社の中で、問題を作った人と、解答を作った人が別だったために、たぶん解答をつくった人は、ここに〇を書くんだと勝手に考えて、四角欄に〇を書いた答えを解答集にのせてしまったことがミスだと。で、そこに居合わせた別の友人は言いました。問題を作った人が、十字点線をいれたはずだから、そうであるならば、問題を作った人は、枠内に数えた数を書きなさいと明確な指示を書くべきだったから、それを怠った問題作成者側のミスだろうと。

ま、私はそんな大人の事情まで想いを馳せてなかったんですが、先生も、解答集にあったとしても、ちょっと先生なりに考えて、「でもこれでもいいよね♪」って思ってほしかったな…という私の愚痴です。

杓子定規な「ひとつの解答」に導く教育は、足並みがそろったり、良い面もあるだろうけれど、こういう採点が、知らず知らず、個性をつぶしていっていると思えてならない今日この頃です。君はここに〇をして花丸だったんだね!僕はこっちに〇をして花丸だったよ!というこんな小学1年生の日常の小さな会話の中で、個性を認め合える土台ができていくように感じます。そしてそれが、ひとりひとりが尊重される多様性を受け入れる社会の現実につながっていくと信じています。

小学校生活は始まったばかり。親が家庭でできることは?

わが子が小学校という新しい世界で、勉強・宿題という大きなものに向かって頑張り始めた今、親である私たちには何ができるでしょうか?大切なポイントをまとめたいと思います。

学校では花丸もらえなかったことでも、親は褒めてあげましょう。
不正解だっとしても、「よく考えたね!」「一生懸命頑張ったのがよくわかるよ!」などそのまま丸ごとを肯定することが大切です。

勉強というものに触れ始めたばかりのまだ小学1年生。いやでもここから何年も勉強していかないといけない。一番大切なことは、勉強を嫌いにならないこと。そして、私は(僕は)勉強が苦手なんだ!と思わせないこと。嫌いになってしまったり、自分はそれが苦手なんだと植え付けられてしまったら、もうその後何年も何年もつらいから。不登校と聞くと、いじめが原因かな?とまず思われる方が多いかもしれませんが、実は、学業のしんどさが不登校の引き金になることもとてもとても多いんです。だから勉強=しんどい!苦手!僕は〇をもらえない!とならないような工夫が必要です。

お子さんの様子を見ていて、出された宿題があまりにお子さんの今できることとかけはなれている場合は、先生に相談しましょう。宿題を終わらせて提出することにこだわる必要はありません。宿題を減らしてもらったり、内容に工夫をしてもらうことで、お子さんが、「やればできた!」「〇をもらえた!」「僕にもできる!」という体験を積むことのほうがよっぽど大切です。

わが子も含め、どのお子さんもみんな、いっぱい花丸もらえて、花丸もらうってうれしいな!勉強って楽しいな!学校って楽しいな!って経験できる機会がたくさんたくさんあるといいなと願っています。

コメント

タイトルとURLをコピーしました